2006年8月04日

ご無沙汰しております。

 大変ご無沙汰をしてしまいました。もう7月も終わり、今年も半年が過ぎ暦も後半に入っております。梅雨の大雨が各地に被害を出しております。気おつけてはいましても天災はなかなか防げません。被災地の方々にはこれ以上の被害が起こらないようまた一刻も早く回復されますようご祈念いたしております。どうやら東北を除いて梅雨明けとなったようですが油断なされませんように。

 東京は7月にお盆を迎えました。お盆も地域によって8月盆です。お盆はご存知のように「盂蘭盆会」(ウラボンエ)と言います。この言葉は古いインドの言葉「ウランバナ」を音写したものです。意味は「さかさまにぶら下げられる苦しみ」と言うことで「倒懸」と書きます。ご先祖様が苦しんでいるのを供養して救う時期なのです。ですから、ご自宅にてお仏壇にお供え物をして、和尚さんを招いて先祖供養をしていただきます。また、お寺にてたくさんの和尚様がたが集まり本堂などで供養会をいたします。この時はたぶんに菩提寺から供養会の便りが来ていると思います。是非参加して頂き先祖供養をして下さい。たくさんの和尚さんがたのお経もいいものですよ。8月お盆のところの方、どうぞ参加してみてください。

 お寺もだいぶ前より「蜩」が鳴き始めておりました。早朝と夕方に。なんとも言えぬ風情を感じます。蜩の声を聞くと「ホッ」とすると同時にあらゆるものの「儚さ」を感じます。私だけでしょうか?東京でも聞けるところがまだかなりあると思います。境内ではいくつかの種類の蝉が鳴いております。公園や樹木の多い所などに行かれましたら少し心を落ち着かせて耳を傾けてみて下さい。特に早朝や夕方時には蝉の声だけでなく、虫の声も聞かれるようになって来ました。作られた音でなく自然の声はいいですよ。

 お寺の草花は、アジサイもほとんど終わり、桔梗が咲き、いま、「紅蜀葵」が盛りです。別名モミジアオイと呼ばれています。朝に咲き午後には萎んでしまいます。一輪が二~三日は楽しませてくれます。素敵な花ですよ。それから、いつもなら槿が咲き始めているのですが今年はあまり良くありません。残念です。玄関には「茶碗蓮」が咲こうとしています。ここ一日か二日で咲くと思います。毎年楽しまさせてもらっています。寺には栗の木が三本あります。毬が少しづつ大きくなってきました。また、ざくろの実も膨らみ始め楽しみです。このようにお蔭様で寺で季節を感じさせてくれるものがあり、有り難く感謝々の日々です。

茶碗蓮

槿(ソウタンムクゲ)

栗の毬

ざくろ

紅蜀葵

 さて、つい先日までは親の子供への虐待の事件が報道されておりましたが、ここ半月ほどは、子供が親に対しての事件がおおく報道されています。そして、いとも簡単に人を殺害してしまう事件が起きています。なんなんでしょうか。テレビなどでいろいろな方が評論されております。このように事件を起こしてしまう事は全体からして見ると僅かかもしれませんが一度振り返る良い機会ではないでしょうか。親が子供に期待することは悪いこととは思いません。また、子供も親の期待に応えようとしている姿も悪いとは思いません。なぜいまこのようにしているのか。親は現在その目的に達しているわけですが、子供はすべてにおいて未知の世界へ向っているのです。このことは大変重要なことです。親にとっては当たり前の事でも子供にとっては分からないことが多々あるのです。また逆の時もあります。自分が通過したからこの子も、と。将来何になるか。大切なことです。その方向を与える事は必要です。大切で必要なことですですが、そこに持って行くまでが最も重要なことではないでしょうか。オギャーと産声を上げたその瞬間から始まっているのです。お父さん・お母さんだけでなく、若い方々も一つ考えてみませんか?

2006年6月02日

北信州野沢温泉の旅

5月19日から20日にかけて1泊にて親睦団参に行ってまいりました。北信州飯山にある「正受庵」を参拝し野沢温泉に宿泊です。
翌日は小布施にて「岩船寺」を参拝し、「北斎館」を見て長野市善光寺へお参りして帰ってまいりました。
私は21日に「宗箇忌」が営まれますので長野善光寺を参拝して長野駅にて皆さんと別れ、名古屋経由にて京都へ行きました。
長野にて別れた「バス」は総代さんの笹本氏と世話人の廣瀬氏にお願いいたして無事白金に到着し解散となりました。

19日朝8時30分にメトロ「白金高輪駅」出口3傍の大通りより「バス」にて一路「北信州」に向けて出発しました。少し雨模様で心配いたしましたが何とか傘をささずに済みそうで一安心でした。

途中関越道の「三芳」にて、休息をし、その後信越道に入り軽井沢手前の「横川」にて一休して、昼食場所の小諸「懐古園」の「草笛」にてお蕎麦を頂きました。だいぶ入り口が変わり、以前あった遊園地などが場所を移動しており雰囲気がすっかり変わっておりました。

昼食所 小諸 懐古園「草笛」
昼食所 小諸 懐古園「草笛」

食事を済ませて今回の目的地「正受庵」へと向いました。
正受庵は今から330年余りの昔、恵端禅師(正受老人)の住庵した禅室です。現在の御堂は弘化4年(1847)善光寺地震と呼ばれる大地震の後、再建されたものである。そして至道庵(江戸)、輝東庵(犬山)と共に天下の三庵として古来知られているところ。(正受庵の由来より)

正受庵
正受庵(中央左は庫裡、萱葺き屋根が改築中の本堂)

正受庵本堂
正受庵本堂(現在改築中)

正受庵本堂内部
正受庵本堂内部

正受庵本堂内部
正受庵本堂内部

水石
水石(すいせき)本堂東南隅の縁先に置かれた水石は、俗に剣すり石と呼ばれる天然石の水石で、正受庵第1の什宝。そのいわくは、飯山城主が正受和尚に寺領と大寺建立を申し出た時、「出家は三位一鉢あれば足りる。他は一切無用」と固く辞退し、その代わりに拝領したきわめて雅致に富む水石である。

正受庵の鐘楼
正受庵の鐘楼

正受庵に咲いていた「平戸つつじ」
正受庵に咲いていた「平戸つつじ」

正受庵参道 正受庵への登り口
正受庵参道 正受庵への登り口。これを「白隠蹴落としの坂」と呼ぶのは、宝永5年若い白隠禅師が来庵のとき「こんな小庵の和尚如き・・・」と含んだ高慢な心底を正受老人が見抜き、「このどめくらめ!」と白隠を蹴落とした、と伝えられるいわくつきの参道。

さて、「正受庵」を後に宿泊地の野沢温泉へと出発です。
途中、正受庵の和尚様に教えて頂きました「菜の花の丘」へ。

菜の花の丘へ・・・
菜の花の丘へ・・・

ここは、千曲川沿いに菜の花がいっせいに咲き見事です。

千曲川
千曲川

5月の連休にたくさんの人々が訪れるようです。今回は5月も中旬ですので僅かしか残っていないと思っておりましたが、「菜の花の丘」は見事に私達を迎えくれました。5月25日の「産経新聞」朝刊の「流域紀行 千曲川をあるく2」で紹介されていました。

飯山市にある「菜の花の丘」
飯山市にある「菜の花の丘」

参加者も思わず「ワァー」と一声があがりました。一面菜の花畑で記念写真です。

菜の花の丘の花畑
菜の花の丘の花畑で記念写真

およそ20分ほどで野沢温泉に到着です。この地は「上信越高原国立公園」に入っております。
由来によると野沢温泉が「湯山村」として歴史に現れたのは鎌倉時代中期、文永九年(1272)との事。
泊りは「かめや旅館」です。老舗の旅館です。昔ながらの温泉地でぶらりと散策しても華やかさも無く、住んでいる人の生活が感じる素朴な温泉地です。
45年ほど前に初めてこの野沢温泉に来た時から殆んど街中は変わらないのではと思うほどです。野沢には外湯が13ほどあります。

野沢温泉「かめや旅館」入り口
野沢温泉「かめや旅館」入り口(350年余りの伝統を誇る老舗旅館です。昔からある温泉旅館の風情が残っています。)

宿泊した「かめや旅館」の直ぐ目の前に一番大きな「大湯」があります。

野沢温泉共同浴場「大湯」
野沢温泉共同浴場「大湯」(無料です)

この「大湯」の左を行くと「湯沢神社」があり、野沢温泉の「総鎮守」です。例年9月8日・9日に行われる秋祭りは「灯篭連れ(づれ)」という愛称で、村無形民俗文化財になっています。
この「湯沢神社」の右には野沢菜の発祥地である「健命寺」があります。曹洞宗の古刹で、1574年の開創です。この「健命寺」第8世晃天園瑞和尚が京都遊学の折、天王寺蕪の種子を持ち帰り改良したのが現在の「野沢菜」と言われております。
山門から境内へあがって行く杉木立ちにはまだ残雪があり今年は雪が多かったことがわかります。

野沢温泉湯沢神社参道
野沢温泉湯沢神社参道・右は健命寺へ

健命寺(曹洞宗)の山門
健命寺(曹洞宗)の山門

健命寺参道杉木立ちと残雪
健命寺参道杉木立ちと残雪

本堂の右手に紫の「ハナズオウ」が咲いておりました。

健命寺本堂
健命寺本堂(右手の紫の花はハナズオウです。)

健命寺から湯沢神社の前を通り「麻釜」(おがま)に向いました。「麻釜」は古くは「釜潭」(熱湯のたぎるふち)と呼ばれていました。写真でもわかるように90度を越える熱湯が沸いており、村人たちは野沢菜や野菜・山菜などをこの高温を利用して食膳に供しているそうです。
以前は「麻釜」のそばまで行けたのですが現在は入れなくなっておりました。温泉卵もここで茹でていた記憶があるのですが、今はこの近くで茹でるようになっておりました。
一度是非訊ねてみて下さい。昔ながらの温泉地の風情が感じられますよ。

野沢温泉「麻釜」
野沢温泉「麻釜」

夜は、皆さんで楽しい宴会で盛り上がりました。残念ながら写真はここには載りません。
翌日は小布施により、岩松院と北斎館により小布施の街を散策いたしました。
小布施は栗が有名なので「栗菓子」をお土産に購入し、更に地酒「桝一市村酒造場」にて「白金」と言う銘柄の地酒を買いました。当地でしか販売をしていないとうことでした。結構美味しい酒でした。「栗おこわ」もどうぞご賞味してみて下さい。
是非小布施に行かれたら「栗菓子」だけでなくお好きな方はどうぞ地酒を。
さて、岩松院は戦国武将「福島正則」の菩提寺でありまた本堂天井の北斎「八方睨み鳳凰図」そして「一茶と蛙合戦の池」として有名です。「鳳凰図」は写真が撮影出来ませんが「蛙合戦の池」は写真のようなところです。

岩松院の山門
岩松院の山門

岩松院 蛙合戦の池
岩松院 蛙合戦の池

「蛙合戦の池」の表示
「蛙合戦の池」の表示

一茶の句碑
一茶の句碑(やせがえる まけるな一茶 ここにあり)

小布施をあとに善光寺へ。
善光寺の徳行坊にて昼食を頂き、サー皆で善光寺戒壇廻りへと、徳行坊を出るときに突然の雷雨となり足袋・すそともびっしょりとなってしまいました。きっと、すべての垢をきれいに落として戒壇廻りをしなさいとの事だったのでしょう。

善光寺本堂(国宝)戒壇めぐりしてきました
善光寺本堂(国宝)戒壇めぐりしてきました

そして、一路、重秀寺への帰路となりました。

2006年5月31日

グリーンランド溶解

29日の朝日新聞朝刊に載っていました「グリーンランド溶解」のニュース、随分以前より言われていたことですが本当に人間社会が困らないと真剣に考えないのでしょうか?
手遅れになる前に今からしっかりとした政策をたて、日本を含む国々が排出する温室効果ガスを極力減らす事をして行かなくてはなりません。
どんなに経済力があろうと便利な生活がなされてもいずれは大変なことになってしまいます。今現在よければいい、自分に直接影響が無ければいいなど思わないで下さい。
何時も何時も言うことですが長~い目でしっかりと見つめていただきたいです。
「グリーンランド」の話しですがいずれ世界規模になりますよ。日本においても海水面が10センチから上がったら今の沿岸沿いは水没してしまいますよ。二酸化炭素などの温室効果ガスの抑制など今から国を挙げていや全人類が取り組んでいかなくてはなりません。
どうですか一つ身近な生活から意識して生活してみませんか?

2006年5月15日

広島に行ってきました。

 連休も終わりましたね。お寺はそうは行きません。連休は関係ない日々でした。
 さてだいぶ時間がたってしまい申し訳ありません。桜も散り、東京は新緑の季節です。寺の八重桜もほぼおしまいですっかり葉桜になりました。これはこれでまたよろしいです。その八重桜の下では「つつじ」が色を添えています。

門の内側
門の内側

 さて、お寺も今年に入りいろいろなことがありました。二月二十二日に、閑栖和尚様(隠居のこと)が遷化(亡くなられる事)されました。二月二十六日通夜・27日告別式を執り行い、四月十一日に津送・新忌斎(納骨・四十九日の法要)を執り行いました。その間に「春彼岸会」があり、四月八日は「はなまつり」(お釈迦様の生誕日)がありました。
 四月十四日・十五日かけて、開基の上田重秀公の生誕地である広島の上田家に行ってまいりました。上田重秀公はご存知のとおり浅野家の国家老上田宗箇の長男で、上田宗箇は武家茶道上田宗箇流の流祖でした。その上田宗箇の作庭の図案が見つかり現在上田家ではその上田宗箇作庭の図案を基に復元を始めています。

通常の出入り口
通常の出入り口(翌日の相伝稽古の為、幕が張られている。)

めずらしい立ち蹲
めずらしい立ち蹲(浅野家の殿様用)

上田宗箇作庭復元中
上田宗箇作庭復元中

上田宗箇作庭の復元中
上田宗箇作庭の復元中(庭師 斉藤先生 手前の人)

およそ三年かけて作庭されており、現在の庭にある庭石などが不要になる為、お家元より当寺と深いご縁のある上田家の庭石を如何との問いに二つ返事にて頂きに行ってまいりました。重秀寺も二十年後の開創四百年を迎えるにあたり作庭を予定しておりご縁のある上田家の庭石を使って作庭出切ればと考えております。

宮浜温泉「石亭」より瀬戸内海を望む
上田家より車で30分ほどのところにある宮浜温泉「石亭」より瀬戸内海を望む

大頭神社
大頭神社(この神社の裏手に妹背の滝があります)

大頭神社に渡る橋
大頭神社に渡る橋「別鴉橋」日本サッカー協会のシンボルになっている鴉名です。

妹背の滝
宿「石亭」より10分ほどにある大頭神社の「妹背の滝」

雄滝
「妹背の滝」の「雄滝」 かなりの水量で迫力がありました。

雌滝
「妹背の滝」の「雌滝」あいにく近くまではいけませんでした。

2006年5月15日

相変わらず忙しくしています。

 二十日・二十一日と閑栖和尚様葬儀にて導師をお願いいたしました雲巖寺の老大師(臥月庵老大師様)に御礼の挨拶に那須の雲巖寺へ行ってまいりました。それから、四月二十五日はお寺の開山忌(開山和尚の命日の法要)でした。本来は四月三日がお亡くなりになった日ですが、以前よりこの二十五日に執り行われていますので、例年どおりに行ないました。これで大きな行事も一段落いたしましたので、やはり閑栖和尚様の葬儀に際してご焼香を賜りました福岡県久留米市にあります梅林寺の悠江軒老大師にお礼の挨拶に行ってまいりました。
 梅林寺は亡くなった閑栖和尚様の修行道場です。四月二十六日に梅林寺に向かいました。お忙しい中を相見頂き、またお気遣い頂き僧堂をご案内いただきました。もちろん雲水さんにです。写真は山門だけです。

臨済宗梅林寺
福岡県久留米市にある臨済宗梅林寺僧堂の山門山内は写真を撮ることは出来ませんが修行僧の為の厳しい道場です。

 翌日は一日時間をとり、翌28日に当寺開山和尚の師匠寺であります日向の佐土原にある大光寺へ向いました。久大線を乗り継いで大分駅へそして大分駅から特急で佐土原駅へ向いました。大分からおよそ3時間。w)

佐土原駅
佐土原駅です。ここからタクシーで大光寺へ行きます。

一両のワンマン電車
久大線に乗って大分へ 一両のワンマン電車です。この電車は日田まで各駅とまります。日田から湯布院そして大分へ。大分から日豊本線で佐土原まで向います。

臨済宗妙心寺派佛日山大光禅寺の山門
臨済宗妙心寺派佛日山大光禅寺の山門

大光寺境内
大光寺境内 手前は開山堂、奥は本堂

 大変歴史のあるお寺で開創670年近くになるお寺です。重秀寺の開山様は、大光寺の三十七世雄山和尚のお弟子で縁あって上田重秀公の菩提寺の開山となられました。大光寺さんでは野生の孔雀がいるそうです。残念ながらお目にかかれませんでした。ご住職の話ですと「たぶん町に行っているのでしょう」とのことでした。次回は是非お目にかかりたいと思っております。

2006年5月15日

釧路川の蛇行

 先日のある新聞に「釧路川の蛇行」の記事が載っていました。釧路川の洪水を防ぐために直線化したようです(二十五年前約1.6キロを直線化した。そしてこの度2.7キロを蛇行させる計画)。
 ところが、「自然再生法」に基ずく河川の曲げ戻しを行うとのこと。何か変ですね。今回の釧路川の計画は「釧路湿原」(ラムサール条約登録湿原)の乾燥が進みこの五十年で二割の面積が消失したそうで、それを「川の蛇行」を回復して湿原を護ろうというのが行政の計画のようです。すごい計画ですね。直線化に5億円、曲げ戻しに10億円掛かるそうです。お金の問題でなく、何千年・何億年とかかって出来た「湿原」を、洪水を防ぐために直線化し、湿原が乾燥し「ラムサール条約登録」としては「まずい」と判断したのでしょう?
 「湿原」が出来るとういうことはどういうことなのか。河川が氾濫したりするから湿地帯が出来るのでしょう。その氾濫をしない様にしたら乾燥してくるのは当たり前ですよ。熱帯雨林のところならまだしも。こんなこと当たり前でしょう。何もしなくても「地球温暖化」の影響で乾燥していくのですから。
 「アサリ」・「干拓」など他にもたくさんの問題があります。人間と自然との調和。大昔は自然に対して人間の知恵を働かせていたように思いますが、近年は人間のための自然と言うような気がしてなりません。ここら辺で少し考え直して見ては如何ですか。以前にもお話したと思いますが人間も「自然」なのです。少々不便でもいいではないですか。気持ち良く、どこにいても「美味しい空気」が吸えるような地球にしませんか?
 この「釧路川」の件、この夏にも着手するようです。どうですかね。関係者の方、慌てずにもっとよく協議しては如何でしょうか?人間の本当の智慧を搾り出して下さい。立派な方が「再生協議会」におられることでしょうから。ひとつ皆さんで考えて下さい。

2006年4月06日

春彼岸会法要

 お彼岸も無事に過ぎホッと一息です。中日の21日は午前10時半より法話が始まり11時過ぎより「春彼岸会法要」が厳粛に営まれました。毎年のことですがたくさんの檀信徒皆様がお参りに来られ一時はお祭りのような雰囲気になります。住職の余り上手でない「法話」に耳を傾けていただき、その後に「法要」が始まりました。今年は数日前の風の強い日で無く、穏やかな日でしたのでお参りの方もおおく、賑やかな一日になりました。花もだいぶ咲き始めみなさんの心を和ませてくれていました。どんな法話をするのかは興味がありましたらお越し下さい。檀信徒だけでなくとも宜しいですよ。

法要

今年は彼岸明けが金曜日なので、土曜日・日曜日とお参りが多く長いお彼岸となりました。しかし、たくさんの方のお参りがありホッと致しております。ご先祖様に「いま」ある自分を「感謝」し、「生かされている」自分に気付いて頂ければありがたいです。よく話をするのですが、いまある自分は「自分から希望して生まれたのではない」と気付き、縁あって「生じた」者なのであることを自覚しなくてはなりません。頭の先からつま先までどれ一つ取っても自分が作ったものはありません。よく自分を見てください。手足を自由に動かせていますが一度骨折などしてしまうと思うように動かせません。本当に己のものでしたら、自由自在に何時でもなるはずです。如何ですか?一つ見つけてみませんか「自分の本当のもの」を。見つけると、きっと毎日が楽しくなりますよ。
 さて、寺の「枝垂桜」いかがですか。JRの宣伝の「円山公園の枝垂桜」に負けません?やっぱり負けますかね。いま、お寺は花盛りです。いろいろな「つばき」・「白蓮」・「レンギョウ」・「やまぶき」・「利休梅」・「ユスラウメ」など。

お寺に咲く花

花によっては3月いっぱいでおしまいですが、4月に入っても咲き続けているのもあります。どうぞお時間がありましたらお越し下さい。
 彼岸があけてからは私事ですが、愚息が専門道場へ修行に出ました。ここ数年来、寺の仕事を手伝っておりましたが大学を卒業し、僧侶になると言うことで重秀寺の宗派である臨済宗の一本山である大徳寺専門道場に掛搭願いを3月27日早朝に致しました。後姿の写真ですが「雲水」仕度の姿です。精進第一で日々を修めてくれればと願っています。

 それから、前回のブログで紹介いたしました「慈照寺(銀閣寺)」往ってまいりました。息子の件が終わりそのついででしたが。大変良かったです。特別拝観はまだ行っていますので、建物や庭や絵などに興味のある方はおすすめいたします。是非ご自分の目で見てください。

銀閣寺にて

2006年3月20日

立春

はや、立春も過ぎました。暦の上では「春」ですね。「寒の入り」から「大寒」を過ぎ最も寒い時期が過ぎました。
そして寺にも「福寿草」が咲き始めました。今年は寒いせいで例年よりも遅く咲き始めました。まだ蕾が多くこれから日一日と春の日差しを浴びながら咲き始めると思うと何か楽しく感じ毎日のぞいてみてしまいます。
「立春」は24節気の始めの節気です。新暦では2月4日です。この立春から「春」になります。では、「春」は何時まででしょう?そうです「立夏」の前日までです。またよく聞く「八十八夜」もこの「立春」から数えてです。それから、そろそろニュースになる「春一番」の風もこの「立春」を過ぎてから吹く強い南風を言います。
さて、今月の15日は「涅槃会」と言って「お釈迦様」のお亡くなりになった日を迎えます。普通には「亡くなった日」を「命日」と言いますが、「お釈迦様のお亡くなりになった日」は「涅槃」と言います。「涅槃図」を本堂に掲げ、ご回向を致します。写真のように「涅槃図」を掲げて供養を致します。

涅槃図

すみません。一挙に3月に入ってしまいました。怠けたわけではありませんがこうなってしまいました。
玄関前の白梅が満開になりました。例年よりも遅めで咲き始め楽しませてくれています。毎年このように咲いていますが、一輪とも同じ花は無いのです。そう思うと一輪一輪が無心に咲いている、何の飾り気も無く咲いている花に教えられます。自分はこのように与えられた命を精一杯咲いていられるだろうか?と。
だいぶ暖かくなってきましたね。寺の木々の花の蕾が一気に膨らみ、また咲き始めました。「木瓜」も膨らみはじめ、「ゆきやなぎ」が白い花を付け、やさしく咲き始めました。

ユキヤナギ  スイセン
アンズ  白梅

「つばき」もそれぞれ咲き始め(例年ではもっと早く咲いているのですが)、「利休梅」の花芽が膨らみ始め「春」の陽射しに心弾む時期になりました。

数奇屋  紺侘助
カモホンナミ  アケボノ
マイフブキ

如何ですか、皆さんの周りは?
この3月はお寺は「春の彼岸会」を迎えます。ご先祖様のご供養を致します。なぜ?なぜでしょう。一度真剣に考えてみて下さい。面倒くさい。そう言わずに考えて下さい。今年の春の彼岸会は18日から24日までです。お墓参りをして下さい。別に彼岸だけでなく何時でもよろしいですよ。是非静寂の中で手を合わせお参りしてみてください。今ここにいる自分はなぜここにいるの。一度自問自答して下さい。
この原稿を書いている今は17日午後10時42分です。これから明日の彼岸入りの最終準備に入ります。お参りの方が少しでも気持ちよくお参りが出来るように確認です。一昨日・昨日と墓所の掃除を済ませましたが昨夜からの雨と風で心配致しておりましたがどうやら心配したほどではなくホッとしています。どちら様も一緒だと思います。来られる方が気持ち良く来られ、お帰りになられるようにおもてなしをする。会社でもそうだと思います。普通のご家庭も。このような心使い、当たり前でしょうが少々薄れているような気が致します。私だけでしょうか。用を足せればよい。便利で合理的であればよい。でもその中に「気配り」・「心使い」といったのを感じさせるところがいまひとつのような気がします。どうでしょうか。「一期一会」いかがでしょうか?お墓参りに来られる檀信徒のみなさんに、そのように接しお参りをしていただき、お帰りをしていただく。よくお参りに来られる檀信徒の方でもそのときお目にかかれるのが全てなのですから。
皆さんも周りを見渡して下さい。家族やいつもいる友達でも、いつもいるのではないのです。そのときに会える時が全てなのです。是非そのように会って、また、物を扱ったり、草花や木々を見たりして下さい。
さて、明日の彼岸入りと19日の日曜日はお参りがおおいですからガンバッテ乗り切ります。そして21日のお中日(おちゅうにち)はお寺で彼岸法要を営みます。明日・明後日の報告いたして20日にこの「ブログ」に載せます。
彼岸の入りです。昨日の強風が止み穏やかな朝を迎えました。午前7時にはお参りの方が来られサァーがんばろ!と始まりました。お昼過ぎから曇り始め夕方には雨が降り始めました。たくさんの方がお参りに来られ相談事や法事の申し込みなど普段なかなかお話が出来ない方との応対にあっと言う間に1日が過ぎてしまいました。夕方6時からは臨時役員会が行われ午後8時過ぎにやっと一息つきました。9時過ぎに開浴(風呂に入ること)をし、今日1日の整理を始めました。いま0時をまわり、どうやら寝床に入れます。それから春休みにお出かけされる方、特に京都へ行かれるならば、いま慈照寺(「銀閣寺」)が今日18日より特別拝観中です。本堂や国宝の東求堂そして弄清亭など非公開の諸堂を公開します。お時間がありましたらどうぞ。5月7日までです。それではおやすみなさい。また、明日です。
19日朝、雨がまだ降っていましたが、直に止み、日がさしてきて今日は穏やかな日になるかと思いきやお昼頃からは曇り始め風が強くなり大変な一日になりました。そのような一日でしたが早朝よりお参りがあり、ありがたくまた今日も頑張ろう!と気合を入れなおして受付にてお参りの方との近況報告やいろいろなお話をして一日が過ぎました。夕方の5時の「時の鐘」(寺では10月5日から4月7日までは5時に撞きます)を撞いて一日の区切りをつけております。今日はお参りがまだありましたので6時近くになり玄関を閉めさせてもらいました。それから、今日の強風で、雨上がりなのでさほど埃にはならないと思っておりましたが玄関や廊下は真っ白になっていましたので、明日の掃除が少しでも楽にと少々身勝手な考えで廊下などの掃除を致し薬石(夕食のこと)となりました。今日もこのような天候でしたがたくさんの方のお参りがあり本当にありがたく当たり前のことですがお参りに来られた方が少しでも清々しい気持ちでご先祖様にお参りされお帰りなられることを願って寺を護持していかなければと改めて決意した一日でした。
さて、このような強風の一日でしたが彼岸桜はしっかりと満開でお参りの方々の目を楽しませてくれておりました。

彼岸桜

毎年咲く花ですが「いま此処に咲いている花」は、「今」がすべてなのですね。それを見ている私たちも同じです。「今」見ている、聞いている、話しているこの瞬時が全てなのです。よろしいですか。

2006年2月14日

ホームページリニューアルしました

お待たせしました。
今日ようやくホームページがリニューアルしました。
表示されないなど不具合があり、ご迷惑をおかけしてすみません。
これからもっと充実したホームページにしていこうと思っておりますので、みなさま楽しみにしていてくださいね。
[重秀寺ホームページはこちら]

2006年2月10日

ご迷惑をお掛けしております

2月1日にホームページのリニューアルをお伝えしたのですが、誠に申し訳ありません。現在、重秀寺のホームページアドレス(http://www.chosyuji.jp/)でページが正しく表示されない状態になっております。
尚、2月14日からは重秀寺のホームページアドレス(http://www.chosyuji.jp/)より正常にご覧いただけますので、何卒ご理解の程お願い申し上げます。