昨年の27日より本年7日まで、年末年始の行事にてブログをお休みさせていただきました。
昨年の27日より境内・本堂など諸堂の大掃除が始まり、29日は「餅つき」の準備に「友引会」(重秀寺を応援する地元の有志の会)のメンバーが来て、杵や蒸篭等仕度をしていただきました。30日は朝から「友引会」のメンバーや奥様方が支度をし、午前9時過ぎから「餅つき」がはじまりました。
初めの一臼の搗き始めは私が搗きますが、途中で若手に交代でした。来年はきちんと一臼は搗くように頑張ります。
この日は檀信徒のお参りが多く、みなさんに「搗きたてのお餅」を振舞います。大根おろし・きな粉・納豆・あんこ等色々とあり、みなさんがお好きなものを召し上がっていきます。今年は大根おろしのお餅が好評でした。因みに昨年は納豆のお餅が好評でした。およそ40臼搗き、手伝い衆の皆さんよく頑張っていただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
餅つき終了後は明日の除夜の準備にかかりました。テントを準備したりと夕方遅くなり本当にありがとうございました。私は葬儀がありお通夜を寺の大光会館にて執り行いました。
 翌日31日は境内の清掃から始まり、除夜の仕度にかかりました。寺の台所では今晩除夜の鐘が終了してから手伝い集などに振舞う「お雑煮」や「おせち料理」の仕度で大忙しでした。
私は午後より葬儀を執り行い、火葬場へ、全て終わったのが午後5時ごろになっておりました。
午後10時半ごろから手伝い集が集まり「除夜の鐘」の準備が始まりました。
参道には「露地行燈」が灯り、本堂正面の「テント」には「おしるこ」と「甘酒」の準備が出来、除夜の鐘を撞いた人々に振舞う仕度が整いました。

大晦日

午後11時45分に私が「除夜の鐘」の第1声を撞きました。その後は並んだ人たちによって次々に撞かれ、午前1時まで撞き終了いたしました。時間で区切るため撞けなかった方も多くいらしたようですが、申し訳ありません。

除夜の鐘  除夜の鐘

私は元旦の午前0時15分より、例年通り本堂にて新年の檀信徒の皆様方のご祈祷をいたし、お越しになられた方々に新年のご挨拶をいたし、お話をさせていただきました。そして、大光会館にて御祈祷会に参加した方と手伝い集の方々と新年を迎えた喜びと皆様方の今年1年の無事を祈り「新年明けましておめでとう」の乾杯をいたし時間の許す限りお祝いをいたしました。最後になったの手伝い集5人ほどと新婚さんと私でした。午前6時半ごろでした。
 朝1番のお参りは午前7時少し過ぎた頃でした。私は8時半に挨拶参りに出掛け、午後1時ごろに戻り、受付にて新年のお参りの方々との応対となりました。
夕方6時に受付を閉め、家族にて改めて「新年明けましておめでとう」と「おせち料理」をいただきました。
 2日は、8時には恒例の「箱根駅伝」のTVを流し、9時ごろより例年とおりお参りの檀信徒の方が新年のご挨拶に来られ対応し、一日が過ぎます。
 3日は午前中は檀信徒の新年のお参りに対応いたし、今年は午後より修行いたした那須の「雲巖寺」へ新年の門候に出ました。「雲巖寺」には午後3時ごろ到着し、5時半ごろに退山しました。帰りは「ふっかけ」(那須連山からの雪が舞ってくる)であっという間に白くなりました。しかし「ふっかけ」ですから積もるということはないです。
 4日から5日は暮れから新年にかけて、出来なかった片づけを致し、少しのんびりと、と思っていましたがそうは行きませんでした。ありがたいことに多くの方のお墓参りがありました。そうですよね、以前にも言いましたが、今日あるのは自分を生んでくれた方に先ずは挨拶ですよ、新年の1番の挨拶をしなくてはいけません。
当然です。
 6日は午前中より寺の用事にて外出、午後は明日の「七草粥」の準備です。家内と仕度をし万事OKです。「七草粥」皆様の所でも食べておられますか?「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」これが春の七草と言われているものです。知っていましたか。失礼致しました。
日本で「粥」を食べるようになったのはいつ頃でしょうかね?やはり稲作が始まった弥生時代ですかね?きっと弥生時代の玄米を「粥」にしたのが始まりでしょうか。さて、「七草粥」としての始まりは?だいたい「粥」を食べると言うと、おなかを悪くした時とか、食欲が出ない時など病気の時に食べる印象があります。また、酒を飲んだ翌朝は結構この「粥」がいけるのです。飲みすぎたなと思った時食べてみた下さい。
しかし、「七草粥」は「一年の無病息災を願って食べる節句なのです」。節句?そうなんです。1月7日七草の節句・3月3日桃の節句・5月5日端午の節句・7月7日七夕の節句・9月9日重陽の節句の五節句です。これは江戸時代に定められた節句です。是非一度調べてみて下さい。その他に24節気なども一緒に調べてみては如何でしょうか。大体このようなものは中国から来ているものでしょうが。日本人の生活習慣にとけ込んでおり日本人の豊な感性にマッチしております。ひとつ暦を見ていただき今日は何の日かと見ながら日々を送ってみては如何ですか。それにしても24節気などが載っている日記やカレンダーがありますかね?案外見つかりそうでなかったりして。
さて横道に逸れてしまいましたが「七草粥」は、新年を祝うお祝いとして豪勢な「おせち料理」をつくり、正月に食べますが、飲んだり食べたりで「胃」の負担がおおきくなり食傷気味になったところで「粥」に青菜を入れ、「胃」の負担を和らげる食事となったことなのでしょう。ちょうど正月を迎えて1週間、7日目にあたる日に「七草粥」として、「1年の無病息災」を祈願して行われるようになったのではないでしょうか。
 7日は、お昼より世田谷野沢の「龍雲寺」にて「大般若会」があり出掛けました。もどって、昨年暮れに当寺の「ご祈祷札・守護矢・干支の根付」を申し込まれた方への発送の準備でした。8日・9日は連休なので10日に発送いたします。
 8日は今年最初の「法要」がありました。また、今年1年の始まりを新たに感じた1日でした。
 11日は「鏡開き」です。御供えした「おもち」をさげ、木槌で「割ります」。「おしるこ」にしたり、「お雑煮」にしたりと、各家庭で色々と工夫して食べていただと思います。これも神仏に御供えしたものをいただくことで1年間無事に過ごせるようにと願い頂くのです。昔は20日に行われていたようです。やはり江戸時代に武家社会における影響から、武家の具足開きから11日に行うようになったようです。こうして見ると、江戸時代と言うか武家社会の「ちから?」相当のものですね。
 さて、今年1年私も「無病息災」で過ごせますよう、また、このホームページをご覧頂いている方々の「無病息災」をご祈念して、このページを閉じます。また数日後お目にかかりましょう。