2006年2月01日

初雪

 今日は2月1日です。やっとホームページリニューアルいたしました。
 昨年の秋に出来上がるつもりでいましたから、なんと4ヶ月以上遅れてしまいました。相変わらずのんびりと言うか愚図と言うか。
 でも何とか出来ましたので、まぁ良いでしょうと自己満足しています。これから色々と内容を充実していきますので楽しみにしていて下さい。何かこう言う事を書いて欲しいとか、教えて欲しい事などありましたらリクエスト下さい。
 さて、あっと言う間に小正月も過ぎ、大寒も過ぎ後数日で節分になります。
 15日は「小正月」で「あずき粥」をいたしました。皆さんのご家庭では如何でしたか?ちょっとおしゃれに「あずき粥」を撮ってみました。普段はこのような朱膳では頂きません。

あずき粥

 「あずき」の赤は、昔から「厄除け」と信じられていましたのできっと「あずき粥」にて今年1年の「厄払い」をしたのでしょう。
 それから以前は「成人式」もこの日でしたね。新しく成人を迎える若い人に「厄払い」を兼ねて「あずき粥」でも食べさせてみてもいいのでないでしょうか。何も合理的に休日を並べるだけが良いのではなくても。
 「小正月」・「あずき粥」、これからの日本を背負って行く若い人に地味だけど「日本人」の文化を味わって大人になっていく、そのくらいゆったりとした行事があって欲しいと願っていいる中年坊さんです。ちょっとせわしなくなって来ていませんか?今の日本は。
 今年も大学入試の季節になってきましたね。「センター試験」どう言う訳か「雪」が多いですね。と言っても東京の話ですけどね。
 寺も積もりました。10センチぐらいですか。

雪  雪

墓地のほうはもう少し多かったようです。

墓場

 降り始めは風情があって好きです。寺の参道は結構急な坂で北側なので融けずに凍ってしまい、車などがあがって来れなくなります。午前中から法事があり来られるか心配致しましたが無事に法事は終わりました。一安心でしたが翌日の冷え込みによっては参道が上がれなくなるので心配しましたが何とか大丈夫でした。
 1月は月末近くになって葬儀がつづきました。明日2日は、葬儀お通夜で、夕方から出掛けます。
 何で葬儀をするの?と聞かれることがこの頃おおくなりました。なぜでしょう?皆さん如何思いますか?昔からそうしているから?和尚さんにお経をあげてもらわないと成仏できないから?さてどうでしょうかね。
 今日からまたひとつ「入試」始まります。「中学受験」です。檀家さんのお子さんもたくさんおられるようです。今までの努力が是非成就するように祈願しております。「ガンバレ!!」受験生。ちなみに私には経験はありませんでした。
 2月に入ると春のお彼岸の準備はいります。エッ!もうですか?と言われますが、そうなんです。今年1年の日程はほとんど昨年の11月下旬に決めますので、今月はその確認お知らせを檀信徒皆様にお知らせいたすので便りの仕度で追われます。法事・行事そして突然のご不幸など、結構時間がなくなってしまうのです。もっと頭の回転が良いといいのですが。仕方ありません。
 昨日からの雨もどうやら恵みの雨となりますか?ちょっと乾燥しすぎていましたから。常緑樹も少し緑が薄く、困っていましたから良い雨でありますように。また、流行っている風邪にもこの雨が予防になりますように。
 雨一つとっても自然の力は凄いですね。毎日降られてもやだし、降ら無すぎても困るし、うまくいきませんね。しかしそう考えるのは私たち人間だけで、「雨」は降るだけです。此処に降ろうかしら、あそこは止めておこうなど考えてなくただ無心に降っているのです。
 私たちの「こころ」もこの「雨の無心」に何かを感じて欲しいですね。
 「雨だれ」の音にどっぷりつかる時間持って見ませんか?

2006年1月13日

年末年始の行事について

 昨年の27日より本年7日まで、年末年始の行事にてブログをお休みさせていただきました。
昨年の27日より境内・本堂など諸堂の大掃除が始まり、29日は「餅つき」の準備に「友引会」(重秀寺を応援する地元の有志の会)のメンバーが来て、杵や蒸篭等仕度をしていただきました。30日は朝から「友引会」のメンバーや奥様方が支度をし、午前9時過ぎから「餅つき」がはじまりました。
初めの一臼の搗き始めは私が搗きますが、途中で若手に交代でした。来年はきちんと一臼は搗くように頑張ります。
この日は檀信徒のお参りが多く、みなさんに「搗きたてのお餅」を振舞います。大根おろし・きな粉・納豆・あんこ等色々とあり、みなさんがお好きなものを召し上がっていきます。今年は大根おろしのお餅が好評でした。因みに昨年は納豆のお餅が好評でした。およそ40臼搗き、手伝い衆の皆さんよく頑張っていただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
餅つき終了後は明日の除夜の準備にかかりました。テントを準備したりと夕方遅くなり本当にありがとうございました。私は葬儀がありお通夜を寺の大光会館にて執り行いました。
 翌日31日は境内の清掃から始まり、除夜の仕度にかかりました。寺の台所では今晩除夜の鐘が終了してから手伝い集などに振舞う「お雑煮」や「おせち料理」の仕度で大忙しでした。
私は午後より葬儀を執り行い、火葬場へ、全て終わったのが午後5時ごろになっておりました。
午後10時半ごろから手伝い集が集まり「除夜の鐘」の準備が始まりました。
参道には「露地行燈」が灯り、本堂正面の「テント」には「おしるこ」と「甘酒」の準備が出来、除夜の鐘を撞いた人々に振舞う仕度が整いました。

大晦日

午後11時45分に私が「除夜の鐘」の第1声を撞きました。その後は並んだ人たちによって次々に撞かれ、午前1時まで撞き終了いたしました。時間で区切るため撞けなかった方も多くいらしたようですが、申し訳ありません。

除夜の鐘  除夜の鐘

私は元旦の午前0時15分より、例年通り本堂にて新年の檀信徒の皆様方のご祈祷をいたし、お越しになられた方々に新年のご挨拶をいたし、お話をさせていただきました。そして、大光会館にて御祈祷会に参加した方と手伝い集の方々と新年を迎えた喜びと皆様方の今年1年の無事を祈り「新年明けましておめでとう」の乾杯をいたし時間の許す限りお祝いをいたしました。最後になったの手伝い集5人ほどと新婚さんと私でした。午前6時半ごろでした。
 朝1番のお参りは午前7時少し過ぎた頃でした。私は8時半に挨拶参りに出掛け、午後1時ごろに戻り、受付にて新年のお参りの方々との応対となりました。
夕方6時に受付を閉め、家族にて改めて「新年明けましておめでとう」と「おせち料理」をいただきました。
 2日は、8時には恒例の「箱根駅伝」のTVを流し、9時ごろより例年とおりお参りの檀信徒の方が新年のご挨拶に来られ対応し、一日が過ぎます。
 3日は午前中は檀信徒の新年のお参りに対応いたし、今年は午後より修行いたした那須の「雲巖寺」へ新年の門候に出ました。「雲巖寺」には午後3時ごろ到着し、5時半ごろに退山しました。帰りは「ふっかけ」(那須連山からの雪が舞ってくる)であっという間に白くなりました。しかし「ふっかけ」ですから積もるということはないです。
 4日から5日は暮れから新年にかけて、出来なかった片づけを致し、少しのんびりと、と思っていましたがそうは行きませんでした。ありがたいことに多くの方のお墓参りがありました。そうですよね、以前にも言いましたが、今日あるのは自分を生んでくれた方に先ずは挨拶ですよ、新年の1番の挨拶をしなくてはいけません。
当然です。
 6日は午前中より寺の用事にて外出、午後は明日の「七草粥」の準備です。家内と仕度をし万事OKです。「七草粥」皆様の所でも食べておられますか?「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」これが春の七草と言われているものです。知っていましたか。失礼致しました。
日本で「粥」を食べるようになったのはいつ頃でしょうかね?やはり稲作が始まった弥生時代ですかね?きっと弥生時代の玄米を「粥」にしたのが始まりでしょうか。さて、「七草粥」としての始まりは?だいたい「粥」を食べると言うと、おなかを悪くした時とか、食欲が出ない時など病気の時に食べる印象があります。また、酒を飲んだ翌朝は結構この「粥」がいけるのです。飲みすぎたなと思った時食べてみた下さい。
しかし、「七草粥」は「一年の無病息災を願って食べる節句なのです」。節句?そうなんです。1月7日七草の節句・3月3日桃の節句・5月5日端午の節句・7月7日七夕の節句・9月9日重陽の節句の五節句です。これは江戸時代に定められた節句です。是非一度調べてみて下さい。その他に24節気なども一緒に調べてみては如何でしょうか。大体このようなものは中国から来ているものでしょうが。日本人の生活習慣にとけ込んでおり日本人の豊な感性にマッチしております。ひとつ暦を見ていただき今日は何の日かと見ながら日々を送ってみては如何ですか。それにしても24節気などが載っている日記やカレンダーがありますかね?案外見つかりそうでなかったりして。
さて横道に逸れてしまいましたが「七草粥」は、新年を祝うお祝いとして豪勢な「おせち料理」をつくり、正月に食べますが、飲んだり食べたりで「胃」の負担がおおきくなり食傷気味になったところで「粥」に青菜を入れ、「胃」の負担を和らげる食事となったことなのでしょう。ちょうど正月を迎えて1週間、7日目にあたる日に「七草粥」として、「1年の無病息災」を祈願して行われるようになったのではないでしょうか。
 7日は、お昼より世田谷野沢の「龍雲寺」にて「大般若会」があり出掛けました。もどって、昨年暮れに当寺の「ご祈祷札・守護矢・干支の根付」を申し込まれた方への発送の準備でした。8日・9日は連休なので10日に発送いたします。
 8日は今年最初の「法要」がありました。また、今年1年の始まりを新たに感じた1日でした。
 11日は「鏡開き」です。御供えした「おもち」をさげ、木槌で「割ります」。「おしるこ」にしたり、「お雑煮」にしたりと、各家庭で色々と工夫して食べていただと思います。これも神仏に御供えしたものをいただくことで1年間無事に過ごせるようにと願い頂くのです。昔は20日に行われていたようです。やはり江戸時代に武家社会における影響から、武家の具足開きから11日に行うようになったようです。こうして見ると、江戸時代と言うか武家社会の「ちから?」相当のものですね。
 さて、今年1年私も「無病息災」で過ごせますよう、また、このホームページをご覧頂いている方々の「無病息災」をご祈念して、このページを閉じます。また数日後お目にかかりましょう。

2005年12月26日

ゆず湯

22日は冬至でしたね。「ゆず湯」に入りましたか?身体が温まり、風邪などを引かないとの事です。
子供の頃亡き母などがよく言っておりました。この冬は大変寒いです。今日も「ゆず湯」いかがですか?
さて、昨日も北陸地方など日本海側の各地で大雪に見舞われています。九州の鹿児島でも積雪のようです。
東京は乾燥し、肌寒い日が続いております。乾燥しきっているので外出から戻ったら必ず手を洗いうがいを致しましょう。
分かりきっている事ですが結構戻った瞬間次の事をしてしまって忘れる事がないですか?
それと睡眠をしっかりと取ってください。風邪など引かず、「忘年会・年末・年始」を乗り切りましょう!!
ホームページのリニューアルどうやら年越しのようになりました。申し訳ありません。
サボっていた訳ではないのですが。来年1月中には皆様にお見せ出来ます。確約いたします。
ところで、21日は、「ご案内」で京都へ行っておりました。ちょうど暮れと新年の支度を用意してまいりました。
例年は12月初めに準備しに行くのですが、今年は「ご案内」がありましたのでこの時期になりました。
翌日の京都は朝から雪に見舞われ、久しぶりの京都の雪景色を味わいました。
せっかくなので、北山の「金閣寺」(鹿苑寺)へ行ってきました。雪景色に浮かぶ「金閣」はとてもよかったです。
この時期のわりには観光客も多くびっくりしました。きっと、雪の金閣寺と言うことで他を観ずにあえて此処にきたのかもしれませんね。
ニュースや写真では見てる方もおおいと思いますが、実際に観られることは数少ないと思います。
ご存知のとおり「金閣寺」は臨済宗相国寺派のお寺で、皆さんのほうがよくご存知だと思いますが。
正式名称は「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言います。足利三代将軍義満が西園寺公経(さいおんじきんつね)(鎌倉時代)の別荘北山第(きたやまだい)を大変気に入り、
西園寺家より譲り受け、当地に山荘北山殿を造ったのです。
「金閣」はお釈迦様のお骨をまつった建物(舎利殿)です。この「金閣」を中心に庭園・建築がなされこの世に極楽浄土を現したと言われております。
義満の死後、夢窓国師(むそうこくし)を開山(最初の住職のこと)とするように遺言として、義満公の法号(戒名のこと)から、
院殿の「鹿苑院殿」から「鹿苑寺」と称されたのです。
数十年ぶりの「雪の金閣」を観て参りました。
この大雪で、帰りの新幹線が大幅に遅れ予定の到着時間(品川駅)より1時間余り遅く着きました。
新幹線ができた来た頃は東京と京都間は3時間半近くかかっていたような記憶ですが、違っていますか?もう忘れました。
今は「のぞみ」ですと2時間半ぐらいで着いてしまいます。ですから随分と乗っていたようですが、新幹線の初めの頃とほとんど変わらないわけですね。
いつかはリニアモーターカーになりきっと1時間ぐらいで着いてしますのでしょう。忙しく飛び回っている方にはよろしいでしょうが、
旅の情緒は益々失われてしまいそうですね。富士山を「アッ、富士山ダっ!」と言っている間に通り過ぎてしまうのでしょう。
お寺も暮れからお正月の準備にかかります。アッと、年賀状の準備まだして無かったです。急いで25日までには出したいと思ってガンバってみます。
当寺では30日に「お餅つき」です。近所の若い衆?(もうだいぶ年が行っているかな?)が準備をしてくれます。
当日は朝から多くの方が来てペッタンコ・ペッタンコと餅を搗きます。60臼ほど搗きます。また、お檀家さんがお参りに来て、搗き立ての「おもち」を食べて行きます。
お子様やお孫さんを連れてお墓参りをし「搗き立てのおもち」を食べていってくれます。
このような時代です「餅つき」を実際に見て、搗き立てのおもちを頂く、それも親子で、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんと一緒になんて、
しかもご先祖様のお参りをしてですよ。宜しいではないですかね。特に小さな子供さんには。

2005年12月16日

自然の働き

 スイセンが地中から緑色の角をのぞかせています。自然の働きすごいですね。
毎年咲いて楽しませてくれて。しかし、昨年の咲いた花と同じところから咲いているけれど今これから咲こうとガンバッテいる花は別個のものです。
よく見て歩くと葉が落ちきった木々にも次の萌芽が見られます。大地を見れば落ち葉の下から新しい命がグィと頭をもたげています。命の力強さを感じる時です。
たった一度しかないそのときだけの命。そう思うと自然と微笑んでしまいます。大切に育てたくなりますね。ましてや口も利けず、自分からこうしたい、このように咲きたいなど無くただ無心に咲いているのです。感動ですね。
作られたものではない自然の命、絶やすわけにはいきません。
それに比べるとなんと人間の浅はかな事。情けないですね。
新聞・テレビ大きく報道されているニュース何とも言いようが無い出来事ばかりです。余りにも酷すぎます。誰も他人の生命を奪う権利など無いのです。たった一度の命、ゲームみたくもう一度やり直しなど無いのです。
今ここで一息している自分、周りを見渡して下さい。自分ひとりで生きているのではないのです周りの全てのものに生かされているのです。空気・水・米・パン・親(自分を生んでくれたから今いるのです)。草花などの自然もそうです。わかりますか?スイセンの話をしましたが、生命を感じさせていただけた。山を見て感動するなど。他人の命を奪うなど自分の命を奪う事です。
さて、今年の冬は何十年ぶりかの大雪に見舞われているようですね。
子供の頃は、ニュースなどで、上越地方などは大雪ではなく「豪雪」と呼ばれ常にラッセル車が線路を走ったりしている映像を見た記憶があります。
12月7日は24節気の「大雪」(たいせつ)にあたりました。節気のとおりですかね。もう少しすると同じく24節気の冬至になります。12月22日です。ゆず湯に入りましょう。エッ!ゆず湯。入ったことはありませんか?子供の頃は銭湯に行くと季節ごとの湯がありました。菖蒲湯とか。
気象庁は暖冬と予測していたようです。
4月12日の京都新聞に、おや!!雪化粧!?「右京・京北の山間タムシバ一斉開花」と題して載っていた記事がありその雪化粧の正体は、地元でコブシやコボセと呼ぶモクレン科のタムシバだそうで、コブシが多く咲く年は地元では豊作との言い伝えがあるが、一方では、雪の多い冬の予兆とも言われている。との記事を思い出しました。
昔から言い伝えられている事柄、結構現在にも当てはまる事が意外と多いですよ。余りバカにせず少し心して日常生活を送ってみるのも悪くないですか。コンピュータで出された結果だけでなく。いかがですか?
来年の手帳やカレンダーを手にしている人かなりおられると思いますが、日曜や祭日の休みだけでなく、24節気などに目を触れてみて下さい。季節感など一年を通じて意識する年を送って見てはどうですか。新しい自己の発見が出来るかもしれませんよ。
寒波襲来の日本列島、玄関を出ると冷蔵庫の中にいるようです。東京は乾燥しており更に週末は大寒波が襲うようです。
風邪など引かないように用心、用心しましょう。

2005年12月07日

寒くなりましたね。

急に寒くなってきました。
枝垂桜の葉もすっかり落ち、参道の八重桜はまだ赤く色づいて残っています。
ここ数日の風でケヤキの葉もだいぶ落ちましたが、掃き掃除がまだまだ続きます。以前は、落ち葉を集めて“やきいも”を境内でしましたが、今は環境問題で燃やしてはいけなくなり風情を楽しむ事ができなくなりました。残念です。
子供の頃には皆さんも一度は歌ったと思いますが“たき火”という歌、
“かきねの かきねの まがりかど たき火だ たき火だ おちばたき 
「あたろうか」 「あたろうよ」 きたかぜ ぴいぷう ふいている”
という歌です。
考えてみると「かきね」が無くなりマンションやビルやコンクリートの塀になってきています。
都会を離れればまだまだ「かきね」はあるのでしょうが。「かきね」てなあに?なんてことは無いですよね。
“たき火”の2番では、「さざんか」になっていたと思いますが。「さざんか」ご存知ですよね。バカにするなと怒られますかね。
「さざんか」は「つばき」とは違いますから。また一言余計でしたか。それから、「おちばたき」などはほとんど見られなくなりました。
「おちばたき」をしながら“やきいも”をするなど皆無ですね。“やきいも”が香ばしく、フウフウしながら、ワイワイとおしゃべりしながら食べる楽しみ、またやってみたいです。
ついでに“たき火”の2番には “しもやけ おててが もうかゆい”とあったと思いますが、いまのお子さんたちは“しもやけ”になるのでしょうか。あまり聞かれなくなってずいぶん経つような気が致します。環境が整っているせいか、「しもやけ」になる生活ではなくなったのでしょうね。
私などは雑巾掛けや庭掃きなどで水が手についたままでちょっと油断すると痒くなってしまう事があります。あぶらっけが無くなって来ているせいもあるようですが。
竹箒で境内や墓所を掃いていると余計な事を考えないでおるので、一段落つくまで掃き終ると気分がスッキリしてすがすがしい気持ちになります。これ本当ですよ。
また、竹箒と落ち葉の掃く音、いいもんですよ。どうですかボランティアで掃きに来ますか?ここ港区にもお寺や神社さんでは結構庭掃きで大変だ、と言っているところがかなりあると思います。お休みの日などでどこにも予定が無く、また寒いからと言って家にいるのでなく、午前中に体と頭の体操をかねて如何ですか?
お子さんも一緒に日頃のストレスが発散するのではないでしょうか。さらに自然との会話も一役買えるんではないでしょうか。
さて、明日12月8日は何の日かご存知ですか?
そうです「お釈迦様のお悟りになった日」(成道会(じょうどうえ))です。よくお解かりになりました。
と言っても、多分ご存じない方が多いのかも知れませんね。クリスマスは知っていても。なに、和尚の僻みか?って。そうです。
この際ですからついでに、お釈迦様のお生まれになった日は?そう4月8日(降誕会(こうたんえ))一般的には「花祭り」です。
亡くなられた日は2月15日(涅槃会(ねはんえ))です。是非覚えて下さい。お願いいたします。
臨済宗ではこの12月1日より12月8日の未明までを1日とした大接心をします。
修行道場によって、時期が旧暦にて行われてるところもあります。この接心を「蝋八大接心(ろうはつおおぜっしん)」略して(蝋八(ろうはつ))と言い、雲水の命取りと言われる厳しい1日(八日間)なのです。お釈迦様にあやかり、12月8日の未明の東の空に光る宵の明星を見てお悟りを開いた事に因んで修行僧(雲水)は、ここぞと日頃の修行のすべてをなげうって死に物狂いで坐禅をするのです。一生に一回の人生、剃髪してチャレンジしてみませんか。

2005年12月02日

師走です

師走です。何時もながら早い1年です。
新聞やテレビニュースの社会面は相変わらず嫌な事件がおおく、どうなっちゃんてんの人間は?と言う感じですね。 
このように物を書くというのは意外と出来ない物ですね。もっとスラスラと話せると思っていました。
さて、お寺も師走に入り年末の行事の準備に入り、檀信徒に便りを出す支度をし、年末から年始にかけての準備に落ち度が無いか何度も繰り返し例年のメモを確認しています。
毎年の事ですがもっと早くから準備すればと思いつつ何時もギリギリになって始めてしまいます。
今月は忘年会があり、当然、法事も今月半ばまで予定に入っており、更に葬儀も昨日・今日とあり、そして現在、寺は工事も入っておるので毎日のように工事関係者が出入りして工事の進行状況や打ち合わせなどで一日一日が瞬く間に過ぎてしまいます。
おかげで余計な事を考えずに、無事に過ごせありがたく思っております。
余り暇があると碌でもない事を考えてしまいがちになるので忙しさに感謝です。
さて、昨日のニュースにほのぼのとしたニュースもありましたね。愛子様4歳の誕生日を迎えられたニュースです。
大きなサツマイモを掘り出し、思わず声を出された映像を見て、なんも飾りの無い清々しい愛子様本体があらわれていました。
この無心な清々しい境地をどんな場面においても出せたら縁あって人間として生まれてきて幸せではないでしょうか。
私たち人間は誰一人として自分から生まれた人はおりません。縁あって生まれてくるのです。
ですから思うようには行かないのはあたりまえです。尊い一度きりの命を授かり、肉体を授かってくるのです。
前にいる人も・後ろにいる人もすべての人は全く同じ尊厳ある命、その人、一人一人が全く同じ条件で生かされているのです。
誰にも侵されることの無い尊い、尊厳ある命を授かって生かされているのです。
これこそお釈迦様の言う“唯我独尊”なのです。
この尊い命と肉体は何人からも脅かされる事は無いのです。このことをよく踏まえたうえで生きていかなければなりません。
幼子の命を意図も簡単に奪う事件などもってのほかです。
また、建築業界を揺るがしている問題、関係者すべてが自身の職業的良心が欠如しているとしか言えません。情けない事です。
マンションに住む人々やホテルに泊まりに来る人々がいちいちこの建物は“震度5の地震で倒壊しますか?”と訊いて住んだり・泊りますか?
もし訊ねて、関係者は“はい、震度5で倒壊の恐れがありますが、いかがですか?”といってマンションを販売いたしますか?
“はい、震度5で倒壊の恐れがありますが、お泊り下さい。”といって、お客は泊りますか?バカにするんじゃないよ!と怒りたくなります。
知らなければそれで済むなんてとんでもないですよ。人間ほど地球上の生物でこれほど優れていてそして愚かな生物は無いようですね。困ったものです。
自身の職業的良心と言いましたが、われわれ僧侶も政治家も官僚も教育者もその他多々ある職業に従事しているすべての人々が本当に己の職業的良心を貫く生き方をしてもらいたいものです。

2005年11月21日

ブログ(和尚のひとりごと)

今般、重秀寺ホームページをリニューアルするにあたり、“ブログ”を設けました。
“ブログ”と言っても和尚の“独り言”として捉えていただければありがたいです。
法話になったり・雑学の披露になったりして思いのまま書いていきます。しかも不定期です。
言葉使いや誤字など気をつけていきますが少々のところはお許しいただければと願っております。
さて、11月も半ばになり朝夕めっきり寒くなりましたね。
せわしかった蝉の声がいつの間にか虫の声にかわっていく。そして、日月が経ち虫の声も聞けない時節が来ます。
季節の変化を全身で感じる時、ふっと我に返り、時の流れの早さに気づき、命の儚さ・尊さを思い知ります。
私が住む東京ですが“東京には自然が無い”とよく言われますが、そんな事はありませんよ。
結構まわりを見ていただきますと目につくものがたくさんあります。確かにビルや家屋が多く(それだけ住む人が多いわけですが)何もないように見えますが良く見て下さい。
でも夜空を見ても星は僅かしか見れませんね。残念です。
だいぶ昔ですが、好きでよく長野県の霧が峰高原へ行きました。
夜空の星を見上げていると本当に目の前に迫ってくるような迫力に圧倒されました。
東京でも子供の頃は結構見ることができ、星座も見つけることもできたものです。
いまでは北斗七星・カシオペア座・オリオン座そして空気が澄んでスバルぐらいですか。
広々とした大地を感じたり、山々や小川のせせらぎを感じるところではありませんね。
だからと言って直ちに自然回帰すべきとは一言では片付けられません。
ずいぶん前に首都移転など一極集中化を何とかしようと言っていた時期がありましたがいまはあまり聞かれません。
長い時間をかけて今日の東京になったのも私たち人間が自然と望む形を果たしてきたあり方がこのような形になってきただけなのではないでしょうか。
私の住んでるところも、地下鉄が通り便利になり雨が降っても長靴を履くことも無く、
参道を下りて通りに出ればバスに乗れ、手をあげればタクシーに乗れ本当に便利になり住みよいですよ。
ただし、忘れていた事があったのです。大変大切な事を。
少し戻りますが、自然とは?そう自然とは、おのずからそうなるべき“きまり”なんです。わかりますか。
人間が作り出すさまざまな物質(人工的なもの)と自然は相反するものでありますが、
しかし、作り出す人間が自然をよく理解しておれば、作り出す物と自然が調和されていくのです。
自然を無視した技術だけで作り上げた物では、自然のバランスを崩す、つまりさまざまな自然環境の破壊を生み出すだけです。なんとしてでも真剣に取り組んでいく時期に来ているのではないでしょうか。
人間も自然なのです。つまらん欲をかいてどうするのですか?