5月19日から20日にかけて1泊にて親睦団参に行ってまいりました。北信州飯山にある「正受庵」を参拝し野沢温泉に宿泊です。
翌日は小布施にて「岩船寺」を参拝し、「北斎館」を見て長野市善光寺へお参りして帰ってまいりました。
私は21日に「宗箇忌」が営まれますので長野善光寺を参拝して長野駅にて皆さんと別れ、名古屋経由にて京都へ行きました。
長野にて別れた「バス」は総代さんの笹本氏と世話人の廣瀬氏にお願いいたして無事白金に到着し解散となりました。

19日朝8時30分にメトロ「白金高輪駅」出口3傍の大通りより「バス」にて一路「北信州」に向けて出発しました。少し雨模様で心配いたしましたが何とか傘をささずに済みそうで一安心でした。

途中関越道の「三芳」にて、休息をし、その後信越道に入り軽井沢手前の「横川」にて一休して、昼食場所の小諸「懐古園」の「草笛」にてお蕎麦を頂きました。だいぶ入り口が変わり、以前あった遊園地などが場所を移動しており雰囲気がすっかり変わっておりました。

昼食所 小諸 懐古園「草笛」
昼食所 小諸 懐古園「草笛」

食事を済ませて今回の目的地「正受庵」へと向いました。
正受庵は今から330年余りの昔、恵端禅師(正受老人)の住庵した禅室です。現在の御堂は弘化4年(1847)善光寺地震と呼ばれる大地震の後、再建されたものである。そして至道庵(江戸)、輝東庵(犬山)と共に天下の三庵として古来知られているところ。(正受庵の由来より)

正受庵
正受庵(中央左は庫裡、萱葺き屋根が改築中の本堂)

正受庵本堂
正受庵本堂(現在改築中)

正受庵本堂内部
正受庵本堂内部

正受庵本堂内部
正受庵本堂内部

水石
水石(すいせき)本堂東南隅の縁先に置かれた水石は、俗に剣すり石と呼ばれる天然石の水石で、正受庵第1の什宝。そのいわくは、飯山城主が正受和尚に寺領と大寺建立を申し出た時、「出家は三位一鉢あれば足りる。他は一切無用」と固く辞退し、その代わりに拝領したきわめて雅致に富む水石である。

正受庵の鐘楼
正受庵の鐘楼

正受庵に咲いていた「平戸つつじ」
正受庵に咲いていた「平戸つつじ」

正受庵参道 正受庵への登り口
正受庵参道 正受庵への登り口。これを「白隠蹴落としの坂」と呼ぶのは、宝永5年若い白隠禅師が来庵のとき「こんな小庵の和尚如き・・・」と含んだ高慢な心底を正受老人が見抜き、「このどめくらめ!」と白隠を蹴落とした、と伝えられるいわくつきの参道。

さて、「正受庵」を後に宿泊地の野沢温泉へと出発です。
途中、正受庵の和尚様に教えて頂きました「菜の花の丘」へ。

菜の花の丘へ・・・
菜の花の丘へ・・・

ここは、千曲川沿いに菜の花がいっせいに咲き見事です。

千曲川
千曲川

5月の連休にたくさんの人々が訪れるようです。今回は5月も中旬ですので僅かしか残っていないと思っておりましたが、「菜の花の丘」は見事に私達を迎えくれました。5月25日の「産経新聞」朝刊の「流域紀行 千曲川をあるく2」で紹介されていました。

飯山市にある「菜の花の丘」
飯山市にある「菜の花の丘」

参加者も思わず「ワァー」と一声があがりました。一面菜の花畑で記念写真です。

菜の花の丘の花畑
菜の花の丘の花畑で記念写真

およそ20分ほどで野沢温泉に到着です。この地は「上信越高原国立公園」に入っております。
由来によると野沢温泉が「湯山村」として歴史に現れたのは鎌倉時代中期、文永九年(1272)との事。
泊りは「かめや旅館」です。老舗の旅館です。昔ながらの温泉地でぶらりと散策しても華やかさも無く、住んでいる人の生活が感じる素朴な温泉地です。
45年ほど前に初めてこの野沢温泉に来た時から殆んど街中は変わらないのではと思うほどです。野沢には外湯が13ほどあります。

野沢温泉「かめや旅館」入り口
野沢温泉「かめや旅館」入り口(350年余りの伝統を誇る老舗旅館です。昔からある温泉旅館の風情が残っています。)

宿泊した「かめや旅館」の直ぐ目の前に一番大きな「大湯」があります。

野沢温泉共同浴場「大湯」
野沢温泉共同浴場「大湯」(無料です)

この「大湯」の左を行くと「湯沢神社」があり、野沢温泉の「総鎮守」です。例年9月8日・9日に行われる秋祭りは「灯篭連れ(づれ)」という愛称で、村無形民俗文化財になっています。
この「湯沢神社」の右には野沢菜の発祥地である「健命寺」があります。曹洞宗の古刹で、1574年の開創です。この「健命寺」第8世晃天園瑞和尚が京都遊学の折、天王寺蕪の種子を持ち帰り改良したのが現在の「野沢菜」と言われております。
山門から境内へあがって行く杉木立ちにはまだ残雪があり今年は雪が多かったことがわかります。

野沢温泉湯沢神社参道
野沢温泉湯沢神社参道・右は健命寺へ

健命寺(曹洞宗)の山門
健命寺(曹洞宗)の山門

健命寺参道杉木立ちと残雪
健命寺参道杉木立ちと残雪

本堂の右手に紫の「ハナズオウ」が咲いておりました。

健命寺本堂
健命寺本堂(右手の紫の花はハナズオウです。)

健命寺から湯沢神社の前を通り「麻釜」(おがま)に向いました。「麻釜」は古くは「釜潭」(熱湯のたぎるふち)と呼ばれていました。写真でもわかるように90度を越える熱湯が沸いており、村人たちは野沢菜や野菜・山菜などをこの高温を利用して食膳に供しているそうです。
以前は「麻釜」のそばまで行けたのですが現在は入れなくなっておりました。温泉卵もここで茹でていた記憶があるのですが、今はこの近くで茹でるようになっておりました。
一度是非訊ねてみて下さい。昔ながらの温泉地の風情が感じられますよ。

野沢温泉「麻釜」
野沢温泉「麻釜」

夜は、皆さんで楽しい宴会で盛り上がりました。残念ながら写真はここには載りません。
翌日は小布施により、岩松院と北斎館により小布施の街を散策いたしました。
小布施は栗が有名なので「栗菓子」をお土産に購入し、更に地酒「桝一市村酒造場」にて「白金」と言う銘柄の地酒を買いました。当地でしか販売をしていないとうことでした。結構美味しい酒でした。「栗おこわ」もどうぞご賞味してみて下さい。
是非小布施に行かれたら「栗菓子」だけでなくお好きな方はどうぞ地酒を。
さて、岩松院は戦国武将「福島正則」の菩提寺でありまた本堂天井の北斎「八方睨み鳳凰図」そして「一茶と蛙合戦の池」として有名です。「鳳凰図」は写真が撮影出来ませんが「蛙合戦の池」は写真のようなところです。

岩松院の山門
岩松院の山門

岩松院 蛙合戦の池
岩松院 蛙合戦の池

「蛙合戦の池」の表示
「蛙合戦の池」の表示

一茶の句碑
一茶の句碑(やせがえる まけるな一茶 ここにあり)

小布施をあとに善光寺へ。
善光寺の徳行坊にて昼食を頂き、サー皆で善光寺戒壇廻りへと、徳行坊を出るときに突然の雷雨となり足袋・すそともびっしょりとなってしまいました。きっと、すべての垢をきれいに落として戒壇廻りをしなさいとの事だったのでしょう。

善光寺本堂(国宝)戒壇めぐりしてきました
善光寺本堂(国宝)戒壇めぐりしてきました

そして、一路、重秀寺への帰路となりました。