2005年12月26日
ゆず湯
22日は冬至でしたね。「ゆず湯」に入りましたか?身体が温まり、風邪などを引かないとの事です。
子供の頃亡き母などがよく言っておりました。この冬は大変寒いです。今日も「ゆず湯」いかがですか?
さて、昨日も北陸地方など日本海側の各地で大雪に見舞われています。九州の鹿児島でも積雪のようです。
東京は乾燥し、肌寒い日が続いております。乾燥しきっているので外出から戻ったら必ず手を洗いうがいを致しましょう。
分かりきっている事ですが結構戻った瞬間次の事をしてしまって忘れる事がないですか?
それと睡眠をしっかりと取ってください。風邪など引かず、「忘年会・年末・年始」を乗り切りましょう!!
ホームページのリニューアルどうやら年越しのようになりました。申し訳ありません。
サボっていた訳ではないのですが。来年1月中には皆様にお見せ出来ます。確約いたします。
ところで、21日は、「ご案内」で京都へ行っておりました。ちょうど暮れと新年の支度を用意してまいりました。
例年は12月初めに準備しに行くのですが、今年は「ご案内」がありましたのでこの時期になりました。
翌日の京都は朝から雪に見舞われ、久しぶりの京都の雪景色を味わいました。
せっかくなので、北山の「金閣寺」(鹿苑寺)へ行ってきました。雪景色に浮かぶ「金閣」はとてもよかったです。
この時期のわりには観光客も多くびっくりしました。きっと、雪の金閣寺と言うことで他を観ずにあえて此処にきたのかもしれませんね。
ニュースや写真では見てる方もおおいと思いますが、実際に観られることは数少ないと思います。
ご存知のとおり「金閣寺」は臨済宗相国寺派のお寺で、皆さんのほうがよくご存知だと思いますが。
正式名称は「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言います。足利三代将軍義満が西園寺公経(さいおんじきんつね)(鎌倉時代)の別荘北山第(きたやまだい)を大変気に入り、
西園寺家より譲り受け、当地に山荘北山殿を造ったのです。
「金閣」はお釈迦様のお骨をまつった建物(舎利殿)です。この「金閣」を中心に庭園・建築がなされこの世に極楽浄土を現したと言われております。
義満の死後、夢窓国師(むそうこくし)を開山(最初の住職のこと)とするように遺言として、義満公の法号(戒名のこと)から、
院殿の「鹿苑院殿」から「鹿苑寺」と称されたのです。
数十年ぶりの「雪の金閣」を観て参りました。
この大雪で、帰りの新幹線が大幅に遅れ予定の到着時間(品川駅)より1時間余り遅く着きました。
新幹線ができた来た頃は東京と京都間は3時間半近くかかっていたような記憶ですが、違っていますか?もう忘れました。
今は「のぞみ」ですと2時間半ぐらいで着いてしまいます。ですから随分と乗っていたようですが、新幹線の初めの頃とほとんど変わらないわけですね。
いつかはリニアモーターカーになりきっと1時間ぐらいで着いてしますのでしょう。忙しく飛び回っている方にはよろしいでしょうが、
旅の情緒は益々失われてしまいそうですね。富士山を「アッ、富士山ダっ!」と言っている間に通り過ぎてしまうのでしょう。
お寺も暮れからお正月の準備にかかります。アッと、年賀状の準備まだして無かったです。急いで25日までには出したいと思ってガンバってみます。
当寺では30日に「お餅つき」です。近所の若い衆?(もうだいぶ年が行っているかな?)が準備をしてくれます。
当日は朝から多くの方が来てペッタンコ・ペッタンコと餅を搗きます。60臼ほど搗きます。また、お檀家さんがお参りに来て、搗き立ての「おもち」を食べて行きます。
お子様やお孫さんを連れてお墓参りをし「搗き立てのおもち」を食べていってくれます。
このような時代です「餅つき」を実際に見て、搗き立てのおもちを頂く、それも親子で、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんと一緒になんて、
しかもご先祖様のお参りをしてですよ。宜しいではないですかね。特に小さな子供さんには。